社内報冒頭文 10月

皆さん、お元気ですか。朝晩は涼しくなりましたが、日中はまだまだ暑いですね。その暑さゆえの気まぐれか、会社の前で車の水洗いをしていました。普段車など洗ったことはないですが、あまりの汚さに、何年ぶりかで洗車する気になったのです。

腕まくりをして洗っていたら、後ろから声が聞こえます。「また、急にどうしたの?」てっきり私のことだと思って振り返ったら、偶然通りがかった二人連れの自転車に乗ったおばさんでした。もう一人が答えます。「わからん。自分でもわからん」

私はこれを聞いて一人で笑ってしまいました。この会話、まるで私と専務の会話と言ってもいいですね。人と人との会話は、案外単純なやりとりで成り立っていて、これはもうすぐコンピューターに取って代わられてしまうなあな、などと考えたのでした。

さて、前置きはこれくらいにして、つい先日、ロサンゼルスの娘に会いに行ってきました。二年前に結婚したのですが、結婚式はハワイだったので、いまだに娘とお婿さんのテリーがどんなところで暮らしているのかまるで知らず、あまりにも無責任だなあと専務とともに出かけたというわけです。その時の日記から、ちょっとだけ引用します。

 

『今成田行きの飛行機に乗ってこれを書いている。機内食はちづさんがチキン、僕がビーフのミートボール。食前にビール、食事中に赤ワイン、食後に白ワインをゲット。

クシャミをする。キャビンアテンダントが通り過ぎざまに「bless you」と声をかけていく。そういえば、今回の旅行の何処かで、悠生とのたわいもない会話で、この「bless you」が出た。クシャミをするとアメリカでは「bless you」と声を掛けるのだそうだ。これは特にいたわるとか、心配するとかいうわけでもなく、言うならば合いの手のようなもので、 返事を期待するような言葉ではないということだ。だからキャビンアテンダントも立ち止まったり、特に声を掛けるという感じではなく、通りがかりざまに軽く合いの手を入れていく。こういうの、いいなあ。

日本はおもてなしの国だと言い、日本人は気配りが美徳だという。まあ、そうなのかな。そうなのかなあ。僕には、むしろ他人に無関心だったり、人と干渉するのが不器用な日本人の姿の方が目に浮かぶ。人とあまり関わりたくないというタイプの人が多いと感じる。初対面の人に対して気軽に接するのが苦手な人が多いと感じる。

アメリカ人はそうではなく、多くの人が結構おせっかいだ。ホテルのドアで偶然行きあうとドアを開けてくれる。サンキューというとYou are welcome。お店で買い物をし、出ようとすると、Have a nice day! 。パーキングメーターでもたもたしていたら、すぐ誰かがMay I help you 前にロスで娘と息子を乗せて、レンタカーを運転していた時、道に迷って助手席で地図を広げていたら、隣に車が寄ってきて、初老の紳士風の人がなにか叫んでいる。窓を開けてよく聞いたら、困っているなら教えようかと言っているのだ。車が停まっている時ならいざ知らず、運転している最中にだよ!

まあ、この話を続けたら、民俗学とか、歴史的な成り立ちまで考えなくてはならないので今はよそうね。でも、アメリカ人の、おせっかいなくらいの開けっぴろげな態度は悪くないなあ。

もちろんアメリカ人にも、いろいろあらあな、だ。あまり単純化して考えない方がいいかもしれないね。けれど、視点を変えてみると、開けっぴろげな体質と、開けっぴろげな精神がエンデバーを作った。アメリカを特別な国にした。今回、旅行の途中でスペースシャトルのエンデバーを観た。本物だけが持つ迫力。アメリカ人はとんでもないものを作ったものだ。そして、そんなものを作ることが出来る原動力は、アメリカの無邪気で、社交的で、あけっぴろげな楽天主義がその根本にあるとはいえないだろうか。そしてそれは、全人類にとって、あるいは全地球にとって、とてつもなくいい事と、とてつもなく面倒なことをもたらしたかもしれず、今後も当分の間、全世界に影響を与え続けるに違いない。』

 

 

では日本はどうなのか。自分自身はどうなのか、と振り返ってみます。仮にも接客業をやっているのに、アメリカ人が持つ社交性とはかけ離れた自分がいます。社交性が全てではないと思うけれど、それならちゃんとしたおもいやりや、心に届くおもてなしができているでしょうか。接客五大用語などというものがありますが、それは冒頭の単純なやりとりにも似て、心のないロボットのような会話になっていないでしょうか。農業が衰退し、製造業が海外に行ってしまい、サービス業しか残らない国。そんな国で、接客すらロボットに取られてしまうような未来はあまりぞっとしませんね。